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インゲボー・ア・ダンマーク (1878-1958) : ミニ英和和英辞書
インゲボー・ア・ダンマーク (1878-1958)[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

インゲボー・ア・ダンマーク (1878-1958) : ウィキペディア日本語版
インゲボー・ア・ダンマーク (1878-1958)[ちょうおん]

インゲボー・ア・ダンマーク(, 1878年8月2日 コペンハーゲン - 1958年3月11日 ストックホルム)は、デンマークフレゼリク8世とその妃でスウェーデンカール15世の娘であるロヴィーサの次女で、スウェーデン王子・ヴェステルイェートランド公カールと結婚した。全名はインゲボー・シャーロッテ・カロリーネ・フレゼリッケ・ルイーセ()。スウェーデン語名はインゲボリ・アヴ・ダンマルク()。
インゲボーは1897年8月27日にコペンハーゲンにおいて、ヴェステルイェートランド公カールと結婚した。インゲボーの母親がカールの従姉であり、親戚関係だったが、この結婚は親同士の取り決めたもので、当人たちに面識は全くなかった。インゲボーは国民に人気の高いカール15世王の孫娘だったため、スウェーデン人たちから歓迎された。1897年から1907年まで、姑の王妃ゾフィアが公の場にめったに姿を現さず、義姉の王太子妃ヴィクトリアは国外に滞在し続けたため、代わりにインゲボーがスウェーデン宮廷のファーストレディ役を務めた。インゲボーはスポーツ好きで、アイススケートや自動車運転を好んだ。
インゲボーと夫のカール王子は幸福な家庭生活を築き、子供たちを質素に育てて家事を学ばせた。彼女は親しみやすい人柄で、夫の軍人仲間のみならず国民の間で非常に人気が高かった。1905年、ノルウェー人たちがスウェーデン=ノルウェー連合国家を解消して独立を宣言した時、ノルウェー独立政府がカールとインゲボーをノルウェー王夫妻として迎えたいと主張した。これが実現しなかったとき、夫妻は安堵したという。1922年、夫妻が投資していた銀行が倒産して経済的に困窮した時、インゲボーは家計をうまくやりくりして危機を乗り越えた。
インゲボーは3人の君主、ノルウェー王ハーラル5世、ベルギー王ボードゥアン1世とその弟アルベール2世の祖母である。またルクセンブルク大公アンリも、インゲボーの曾孫に当たる。

== 子女 ==

* マルガレータ王女(1899年 – 1977年) - デンマーク王子アクセルと結婚
* マッタ王女(1901年 – 1953年) - ノルウェー王オーラヴ5世と結婚
* アストリッド王女(1905年 – 1935年) - ベルギー王レオポルド3世と結婚
* カール王子(1911年 – 2003年) - エステルイェートランド公、のちベルナドッテ公

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「インゲボー・ア・ダンマーク (1878-1958)」の詳細全文を読む




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